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東京高等裁判所 昭和62年(う)1220号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中二五〇日を、右本刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官今井良兒作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人八戸孝彦作成名義の答弁書に記載さているとおりであるから、これらを引用する。

論旨は量刑不当の主張であって、本件犯行は計画的かつ大規模なもので、被害は甚大であり、手段方法は巧妙悪質であるなど、その罪質態様、動機に酌量の余地がないこと、被告人は犯行の首謀者で実行行為においても常に中心となっていたこと、被害の回復が不十分であること、被告人の経歴、性格、前科、本件に至るいきさつ、犯行後の行動、態度、殊に被害弁償金の工面の仕方、弁解に終始し反省が見られないこと、共犯者の処分との均衡等、諸般の事情に照らし、検察官の懲役七年を相当とする旨の求刑意見に対し、懲役三年の刑を定めた上、五年間その執行を猶予した原審の量刑は、著しく軽きに失するというのである。

そこで、原裁判所が取調べた証拠を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討する。

本件の犯罪事実は原判示のとおりであるが、犯行に至るいきさつ等に関し若干の事情を付加して要約すれば次のとおりである。

被告人はかねてから、「日蓮真宗」なる新宗派を興し、信者の寄附により山梨県下に広大な総本山を建立するなどと呼号し、東京都新宿区西新宿の賃貸マンションの一室を「日蓮真宗総本山霊鷲山法華経寺」と名付け、自らをその「管長大僧正宮川法蓮上人」と称していたものであるが、もとより右のような厖大な資金がたやすく集まる筈もなく、内実は活動資金のみならず生活費にも事欠き、かねてサラ金からも借金をして督促を受けている有様であったところ、逆に自分がサラ金を経営して収入を得ようと考え、「ローンズ宮富士」なる商号で時々スポーツ新聞等に「サラ金で悩める者は来たれ、まだ救いの途あり。」などという広告を出していたが、もともと貸付資金に乏しく、業績は上らなかった。

昭和五八年八月末ころ、本件共犯者の一人で、夫に内緒でサラ金から借りた金の返済に窮したAが、新聞広告で被告人を知り、三〇万円の借用を希望して相談に訪れ、被告人は同女からいろいろと事情を聴取するうちに、夫B所有名義の宅地二五四平方メートル余りと、その上の建物二棟(住宅と、同女経営のスナックの店舗)があることを知り、さらに同女と話し合い、これらの不動産を金融に用うることをすすめた結果、同女が夫に無断で右土地建物の権利証を持出し、これを担保に多額の借入をして、その中から同女の借金を返済するほか、謝礼として八〇〇万円を同女が取得し、残余は被告人が使わせてもらう旨の合意が成立するに至った。

そこで被告人はかねて親しくしていたCに融資者探しを依頼し、さらにCが知合いの不動産業者D、E、Fに話をもちかけ、結局EらがさらにGら第三者を介して話を通したH経営コンサルタント株式会社から五〇〇〇万円を借りることになり、その過程で、Aも被告人も、権利証を預けるだけで融資を受けることを希望したこともあったが、それは到底無理であり、Aも担保権設定の登記をすることを了承した。なお、右Cは事業に失敗して定収入を失い、儲け口を探して金融ブローカー等のもとに出入りしているうちに、被告人と知合ったものである。

かくして被告人は、右A、C、D、E、Fと共謀の上、右Aが夫である物件所有者Bに無断で持ち出した前記物件についての登記済権利証、実印を使用し、同人名義の借用証書、譲渡担保契約書、登記申請委任状等各種の必要書類を偽造・行使し、CがBの替玉となって演技するなど巧妙な手段で相手方を欺き、B本人が債務者として融資を受けるものと誤信させ、同年九月八日から一二日にかけて右H経営コンサルタントから現金及び小切手額面合計五〇〇〇万円を騙取し、かつ右偽造委任状を行使して右物件につき虚偽の譲渡担保の登記をし(以上原判示第一の一、二)、

次いで昭和五九年一月、A、C、Dと共謀して、右と同一物件に関し、同様私文書を偽造行使し、替玉を使う等の手段により、株式会社Iから現金六三七〇万円を騙取し、かつ同様の虚偽の登記をし(同第二の一)、

さらに同年四月、右三名と共謀して、同様手段により、J物産株式会社から現金及び小切手額面合計八〇〇〇万円を騙取し、かつ同様虚偽の登記をした(同第二の二)。

また昭和五八年九月ころ、前記Aと同様サラ金の返済に窮して訪ねて来たKに対し、右Aの場合とほぼ同様の合意を遂げ、その妻の父L本人名義の居宅(敷地は借地)の権利証と実印をL本人に無断で持出させ、右K、前記C、F、Dと共謀して、同年一一月一四日ころから二二日ころにかけて、同人名義の各種文書を偽造・行使しDがLの替玉として演技するなど、前記と同様の手段により、M物産株式会社の関係者を欺き、L本人が融資を受けるものと誤信させ、同社を権利者として虚偽の根抵当権設定登記をし、同社から二回にわたり現金及び小切手額面合計一一三二万一〇〇〇円を騙取した(同第三)。

以上のとおりの事実が認められる。

右のように、本件犯行は、サラ金からの借金の返済に苦慮していた者をそそのかして、その親族所有の不動産の登記済権利証を盗み出させて共犯者に引き込み、権利者の知らぬ間に、その作成名義にかかる各種の文書を偽造行使したばかりか共犯者のうちのある者が権利者の替玉になりすまして演技するという、極めて悪質大胆な手段を用いて、右不動産を担保としての借受け名下に、四名の被害者から、巨額の金員を騙取したもので、計画的で大規模、悪質な犯行というべきことは、所論のとおりであり、右詐欺の被害者だけでなく、その名義を冒用された物件の所有者にも多大の損害と迷惑を被らせた点も、看過することができない。そして、前示の騙取額を単純に積算すれば二億〇五〇二万一〇〇〇円となるところ、原判示第一及び第二のA関係の犯行は、被害者への返済期限が迫ると、その犯行の発覚を防ぐためもあって次々と新たな貸主に対し金額をふやしつつ累行したものであって、後の犯行による騙取金の中から前の被害者に弁済しているため、その実質的被害額は、最後のJ物産関係の八〇〇〇万円となり、同第二のM物産関係の一一三二万一〇〇〇円とあわせて九一三二万一〇〇〇円が本件の実質的被害額となるが、それにしても被害は巨額に上るというべきである。そして、このような多額の金員を必要とし、従って犯行により最も利益を得たのは被告人であって、現実に被告人が取得した金額は、概ね論旨が指摘するとおり、右九一三二万円余のうちから仲介手数料、前示の弁済金の利息等を控除して本件全共犯者が取得した金額約六六八七万円の五割を超える約三六五七万円であると認められ、このことだけからでも、被告人が犯行の中心的立場にあったことは優に推認されるところである。ここでさらに共犯者間における被告人の地位役割について考察するに、先ず被告人は前記のようにAおよびKをそそのかして、夫あるいは義父の所有物件の権利証等を持ち出させ、共犯者に引入れたものである。もとよりAにしてもKにしても、このように夫あるいは義父の財産を無断で担保に入れて金を借りるなどという行為が違法であることは承知の上で加担したものと認められ、両名ともサラ金から借金を重ねて窮地に陥ったというばかりでなく、Kは犯罪歴も多く、執行猶予つきの懲役刑に処せられたことが二回あるほか何回も罰金刑に処せられたことがある者で、本人自身の責任も重いのであるし、Aにしても、鉄道員である夫の収入を補うため、また専業主婦の立場に飽き足りないということもあってのことと思われるが、自らスナックを経営していた女性であって、所論のようにそれほど「世事にうとい」とも思われず、また本件における行動自体、「善良な主婦」の行動とばかりもいいがたい。しかし、同女もKも「溺れる者は藁をも掴む」の心理からいかにも高僧然とした被告人の態度言説、特に「日蓮真宗総本山霊鷲山法華経寺管長大僧正宮川法蓮」なる称号や、「権利証で借りられるお金をわたしに使わせてくれれば、お礼に八〇〇万円(これはAの場合のことである)さしあげる。いま大きなお寺を建てる準備をしていて、大勢の信者から大口の寄附が集まるから、借りた金は三か月もすればまちがいなく返せる。」などという甘言に惑わされて犯行に加わるに至ったもので、被告人に会ってそそのかされなければ本件のような犯罪にまで走ることはなかったと見られることは確かである。その他の共犯者、すなわちC、D、E、Fらは、いずれも被告人から直接もしくは間接に依頼され、仲介料等名義の利益をあてにして犯行に加担したもので、その利益のためには手段を選ばない行動態度は、それぞれ厳しく避難さるべきであり、殊にEの如きは、H経営コンサルタントからの融資を仲介するにあたり、被告人の足もとを見て、一〇〇〇万円を「保証金」として自己に預けるよう要求し、被告人やその意を承けたCと争論した(結局Eが右金額を借りて運用し、被告人に利息を払うことになった)ということがあり、またCも、J物産からの騙取金のうち五〇万円を被告人に内緒で取得したことがあるなど、それぞれ狡猾ぶりを発揮して自己の利をはかっており、必ずしも被告人が騙取金の分配を一人で専断的に取り仕切るなど、共犯者全員を完全に掌握し支配していたとまでは認められないが、騙取金の分配にあたつて被告人が中心的役割を果していたことは関係証拠上明らかなところである。

本件では、前記のように、CやDが物件所有者の替玉を演じた点が、特徴的であり、特に悪質と評価されるのであるが、そこに至る経緯を見るに、替玉を使うことは被告人が最初に思いついたことではなく、C、D、Eらの話合いの中で、融資者側から物件所有者本人に会わせろという要求が必ず出るから、身代わりを立てる必要があり、年格好からCが適任だということになっていたものと認められるけれども、そのようなことをしてまで金を借りるかどうかを決定する立場にあったのは、大金を必要としていた被告人であり、被告人はCからこの話を聞くと、その旨を決断して同人に替玉役をつとめることを依頼し、同人が執行猶予中の身であることを思ってためらいを示したのに対し、「私は高名な検事と親しいから大丈夫、事件になる心配はない」などと申し向けて慫慂するなどし、遂に同人をして、Bの代役を務めることを決意させたことが認められ、この点についても被告人の関与の程度はまことに深いものというべく、K、M物産関係では、右の例にならい、Lと年齢の近いDが替玉を務めることになったものである。そして、代役を務める以上、それらの者が本人になりかわって必要書類に署名し、これを偽造することになるのは、当然の成り行きである。被告人は、権利証を担保に金を借りることをCに頼んだだけで、その具体的方法は一切Cらに任せていたものであって、替玉を使ったり文書偽造をしたりするとは知らず、従って詐欺の犯意もなかった旨弁解しているけれども、Cら共犯者の供述等関係証拠に照らし、到底採るを得ない。なお、Cは、本件当時はAらと同様、被告人の言説・態度から物事がうまく処理されるであろうことを信じ、右替玉の件に見られるように、要所要所は被告人の指示に従って行動していたものと認められる。

ところで、被告人の経歴を見るに、被告人は本籍地の大分県で工業高校を卒業し、昭和二六年から約七年間大阪府で巡査をしていたが、同三三年に辞めて郷里に帰り、市会議員に立候補して落選し、海産物を商う仕事をしているうちに、これに関する商品の取込詐欺事件を起こし、昭和三八年三月二〇日大分地方裁判所臼杆支部において懲役一年六月に処せられて服役し、翌四〇年六月仮出獄したのち上京し、探偵社、出版著述業などしているうち、探偵社の仕事に関連して再び詐欺事件(家出娘の所在調査及び連れ戻し費用名下に多額の金員を騙取したもの)を起こし、昭和四八年一〇月九日東京地方裁判所において懲役二年に処せられて服役し、同五〇年に仮出獄し、更生保護会の世話で土工やホテルの雑役などをし、N(n)なる女性と親しくなり、やがて被告人の仏教に関する言説に心酔した同女から、アパートを処分して作った資金の提供をうけて、山梨県南都留郡忍野村忍草に土地を入手し、「仏法僧寺」と称する庵を結ぶ一方、「鎌倉芸林」の名称で出版著述業も再開したものの、信用金庫からの借入が返済できず、右土地建物を競売にかけられて手放さざるを得なくなり、昭和五五年にはNも急死してしまったが、その後も、新宿区内のマンションの一室を借りて事務所とし、次いで同じマンションのもう一室を借りて「霊鷲山法華経寺」と名付け、ひとり自ら「日蓮真宗管長大僧正宮川法蓮上人」と名乗って高僧を気取り、山梨県下に総本山の大寺院を、信者から八〇〇億円の寄附を募って建立する、さらには出身地の大分県下にも「須弥山釈迦寺」なる寺院を建立するなどと大言壮語し、その資金集めのため、何回か都内の有名ホテルなどで「仏教講演会」(その実態は後述する)を開催するなどしていたものである。そして、本件犯行により得た利益が、右法華経寺の仏像仏具の購入その他の諸経費、講演会の会場費、山梨の土地の測量費等「宗教活動」なるものの経費に充てられたほか、被告人の生活費にも使用されたのである。

被告人のいうところによれば、被告人は、若い頃から仏教に関心を持ち、ひそかに仏教関係の典籍を研究し、比叡山、英彦山、恐山等全国各地で、種々の宗派の修行を重ね、ついに日蓮の教えこそが真の仏教であるが、既成の日蓮宗各派はすべて日蓮の教えを歪めているので、自分が日蓮真宗を興し、右既成各派をこれに統合しようと考え、かつ総本山を建てようと思い立った、この考えは第一回の服役を終えた昭和四一年ころから抱いていたが、第二回の服役後Nにめぐりあい、その援助を得て実行に移したものである、などというのである。しかしそもそも、前記のようにサラ金を経営し、いかにも人助けをするような広告を出し、これに釣られて訪れた客を甘言で誘い込んで共犯者として、文書偽造や詐欺を働いたという本件犯行は、宗教者の行為とはおよそ相容れないものである。のみならず、前記総本山建立計画に関し、敷島町に対し開発協議の申請をした際の被告人の説明(同町の質問に対する被告人の回答書)によれば、一三八万人の信徒から八〇〇億円の寄附を得られるなどというが、右信徒数が誇大であることは被告人も認めて、実際に把握されているのは一五〇〇人程度であると述べており、しかもその実体は全く不明なのであり、また前記「仏教講演会」なるものは、会費五万円と称し有名政治家などが出席し、写真週間誌の取材を受けたりしているが、参加者の多くは、日当で雇われたいわゆるサクラであって、被告人の捜査段階における供述によれば、このようにサクラを大勢入れて盛会を装い、出席した資産家の客を説いて大口の寄附もしくは担保提供による援助を頼んだが、誰も承諾してくれず、費用倒れにおわったというのであって、これ亦かなりいかがわしいものであったと認められるのである。このような点からみれば、総本山建立計画、ましてこれと同時並行的に大分県にも寺を建てるなどという計画は、途方もない誇大なもので、実現の見込みなど全くないものであることが明らかであり、また被告人は、前記のように「大僧正」、「上人」、「管長」と称し、「猊下」なる尊称までも使用していかにも高僧然と振舞っていたが、それは「自称」に過ぎず、被告人のかかげる「日蓮真宗」なるものが、そのような位階、称号を名乗るに値する程の実体を有するものであるとは到底考えられない。そのほかにも、被告人がその著書「下山事件の真相」等に著者略歴として記載し、これをもとにA、K、Cらに話した、「慶応、中央、日大、カリフォルニア大学に留学し、大阪警視庁の通訳翻訳官任官」云々という経歴は、大阪府巡査をしていた当時、朝鮮語習得のため、外語大学に派遣されたことがあるのをたねにして、これに尾鰭をつけた虚構と認められ、またCらに対しては、前記身代わりの話が出る以前から、東京地検の高名な某々検事と親しいなどと吹聴し、自己の事務員Oらに対しても、しばしば「これから東京地検に打合わせに行く」などと言っていたが、これは全くの嘘であったなど、被告人の言動、行状には、全体を通じて、誇大な虚言癖と自己宣伝癖が極めて強く感じられるのである。以上の諸点に加え、被告人には前記前科があること及びその内容などをも考えあわせると、被告人の「日蓮真宗」なるものが、まともな宗教ないし宗教団体であるとは到底思われず、むしろその「活動」の実態は、論旨もいうように、宗教に名を借りた金集めに過ぎないと認めざるを得ず、本件犯行は、叙上のような被告人の生活歴や行状の表現ともいうべき側面を多分に有し、この点においても厳しい非難を免れないといわなければならない。

以上のとおりであって、本件犯行はまことに重大悪質であり、被告人はその首謀者と認められるのであるから、同種前科二犯があることをも考えあわせ、その刑事責任は極めて重く、よほど特別の事情がない限り、刑の執行猶予を付することは許されないというべきである。そこで次に、被告人に有利は事情、特にそれが執行猶予を付する理由となり得るほどのものであるかどうかについて検討する。

前記のとおり、本件においては、累行した犯行の一部につき後の騙取金で前の被害分を返済しているため、実被害はJ物産関係の八〇〇〇万円およびM物産(現商号株式会社○○)関係の一一三二万円余であるところ、Jに対しては、原判決時までに被告人から二五五〇万円、C、Dを除く共犯者から二〇〇〇万円(A一四〇〇万円、E五〇〇万円、F一〇〇万円)、さらに原判決後、被告人から三五〇万円の弁償がなされ、被害残額は三一〇〇万円となっており、Mに対しては、原判決時までに被告人から八六七万七六〇〇円、共犯者Fから五〇万円、原判決後被告人から一五〇万円の弁償がなされ、被害残額は六四万円程度にまで減少しており、同社との間には示談も成立していることが認められる。なお、以上のように被告人からの弁償額の合計は三九一七万七六〇〇円であり、これは被告人自身が手中にした騙取金額を上回るものである。後述するように、右弁償金の出所は被告人自身ではなく、第三者の好意によるものであるが、それにしても、Jについては被害の六割強、Mについてはその九割以上が回復されたこと、そして被告人は自己の取得分を上回る弁償をした形となっていることは、もとよりこれを相応に評価斟酌すべきものではある。

しかしながら、右弁償金の調達状況につきさらに検討するに、当審におけるPの証言と被告人の供述をあわせると、被告人は原審における審理中の昭和六一年七月、勾留執行停止により身柄を釈放されて後、かねて被告人の「日蓮真宗」に関する言説を信じ、支援者となっていたP(日蓮宗京都大本山本圀寺の信徒会「妙法護持会」の会長)を頼り、本件の真相を率直に告白することなく、大要「総本山建立の資金作り等布教活動の過程で、金を借りた方法に無理があって、詐欺事件に連座し、自分は首謀者ではないがそのような形にされてしまっていて、他の者には弁償能力がないので、自分が弁償しなければならない。弁償できないと実刑を免れず、そうなれば寺も建てられなくなってしまう。なんとか助けてほしい。」旨再三頼み込み、翌六二年になってようやく同人から三七〇〇万円の大金を用立ててもらい、主にこれを前記弁償に充てたものであることが認められるのであるが、右Pはその後浦和地方検察庁で事情聴取を受け、本件犯行の内容について具体的に知る機会があったのに、いまなお被告人を信じているもののごとく、当審において、「右金員は、被告人の宗教家としての大成を期待し、被告人や一緒に起訴された人達を窮地から救うために喜捨したもので、返済を求めるつもりはない。浦和地検で聞かされたようなことがはじめからわかっていたら、金を出すことをもっとためらったかもしれないが、現在においては被告人のために金を出さなければよかったなどとは思っていない。」との趣旨を証言しているのであって、その心事はいささか了解しがたいところがあるが、その七七才という年令をも合わせ考えて客観的に評価すれば、同人も前記のような被告人の嘘と誇張に満ちた言動の実態がいまだに十分わかっていないままに被告人の言説と人間像を信じこんだ結果の金員供与と認められ、同人から右金員を引出した行為は前示のように被告人がくりかえしてきた行状言動の延長線上にあると考えられる。

原判決は、「量刑の事情」として、被害弁償の状況を摘示し、その末尾に、「被告人に対しては、実刑をもって臨むよりは、その刑の執行を猶予し、更生の途を歩ませつつ、被害弁償に務めさせるのが相当と思料する」旨説示しており、右弁償の点を有利な情状として重視し、かつ被告人を実刑に処するときは、それ以上の弁償が不可能となることを配慮し、執行猶予を付したものと解されるけれども、右に見たような事情に徴すると、既になされた弁償の点も決して過大に評価することはできないばかりでなく、現状においては、右Pにももはや余裕はなく、同人からこれ以上の多額の経済的援助は望めず、他に有力な援助を受けられるあてもなく、被告人の当審公判廷における供述によれば、今後の弁済計画は専ら右Pのように返済を求めない、いわば喜捨してくれるような人物の出現をまつというにあるのであるから被告人を社会に置いても、残る被害弁償を正常な方法によって調達完遂することは極めて困難、むしろ殆んど不可能な状況にあるものと認められ、強いて弁償資金を調達しようとすれば、さらに新たな犯罪的行為を惹き起こしかねないとさえいえるのである。

加うるに、被告人は、前示本件替玉使用の点に関する弁解などにみられるように、共犯者に責任を転嫁する態度が多く、また当審においても、「今後は活動の規模を縮小して地道にやる」とはいうものの、「寺は必ず建てる。山梨の方も大分の方も、それぞれ二〇億もあればよい。それくらいの金は、何年かかけて大勧進をすればできる。」などとも述べているところ、二〇億円にしても著しい大金であつて、正当かつ健全なやり方でたやすく募集できるとは到底思われないとともに、反省の程度は甚だ疑わしいといわざるを得ず、これに前記の諸行状にみられる誇大宣伝癖、虚言癖などを参酌すれば、再犯のおそれも大であると思料せざるを得ない。

共犯者の処分につき一言すれば、A、Oは懲役三年、E、Fは懲役二年六月に処せられ、その執行を猶予されているが、Cは懲役四年、Kは懲役一年六月の実刑判決を受けている。Cについては、本件犯行において果した役割に加え、本件が前刑執行猶予中の犯行である上、弁償もできないという事情があり、Kについても、前記のとおり犯罪歴が多数あるなどの事情があるので、右両名が刑の執行を猶予されなかったことは当然というべきではあるけれども、本件における被告人の諸情状を考え、さらにCとの前記のような関係にかんがみれば、被告人がCよりも軽い刑を宣告されたばかりか、その執行を免れるというのでは、不公平感が存することを否めないであろう。

なお、原判決が斟酌すべき事情として挙げる被告人の身上、年齢、健康状態のうち、身上、年齢については特にとりあげるほどのものがあるとは認められず、健康状態については、たしかに被告人は発作性頻脈症(かつては狭心症の疑いとの診断名が付されたこともあったが、最新の診断書の記載はこれだけである。)の持病があり、継続的に服薬の必要があるものと認められるけれども、これとても刑の執行に堪えないほどに重篤なものとは認められない。

以上に考察したところを総合すれば、弁償の点は、刑期を定めるにあたり相応に斟酌すべきは当然であるが、執行猶予を付する理由となすには十分でなく、本件の犯情の悪質重大性に鑑みれは、右弁償の事実を十分考慮に入れ、その他被告人の健康状態等斟酌しうる事情を種々勘案しても、被告人に対しては、刑の執行を猶予することが相当であるとは到底認めがたいばかりでなく、原判決の懲役三年の量刑は、それ自体が軽きに失するものというべきである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、さらに次のとおり判決する。

原判決の認定した事実に、料刑上一罪及び併合罪の処理に関するものをも含めて、原判決掲記の法条を適用し、その処断刑期の範囲内において、既に検討した有利不利な一切の事情を総合勘案して、被告人を懲役四年に処することとし、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条、原審及び当審における訴訟費用を負担させることにつき刑訴法一八一条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡田光了 裁判官藤井登葵夫 裁判官坂井智)

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